育休、日本におけるそれは大変素晴らしい制度で、さまざまなところであらゆるメリットが語られているかと思いますが、一方で当事者として数少ない負の面もあるように感じています。それが、「いかにFOMOと向き合うか」、という問題です。
最近たまに耳にするようになった「FOMO」ですが、Wikipediaの説明を借りると、「「自分が居ない間に他人が有益な体験をしているかもしれない」、と言う不安に襲われることを指す言葉」という意味になります。ソーシャルメディアで友人・知人と常時繋がるようになった結果、こうした不安を抱くようになる人も少なくないのだそうです。数時間スマホに触れないとなんだかそわそわする...、こういう心情はまさに FOMO の現れといっていいでしょう。
育休中のFOMO
本題ですが、僕の育休中の心情の変化も例外ではないと感じています。具体的には、「長期の育休を取ることで、自分だけその期間キャリアが積み上げられず、置いていかれるのではないか」という不安です。
育休の最初の2〜3ヶ月は、慣れない育児でてんやわんやしておりそれどころじゃないのですが、しばらくして子育てに慣れ始めた頃、少しずつこの不安について考えるようになりました。
基本的に、育休中は0歳児につきっきりで、大人の自由な時間はそこまで取れません(この多寡は家庭による)。 用事があって外出したりすると、日中はほとんどそれで終了、みたいなことも多いです。
育児は、マイナスをゼロに戻すような作業の連続であり(例えば、子供のおむつをかえる、子供が散らかした部屋を片付ける、子供が食べ終わった後に食卓や口の周りを掃除する、など)、自分の成長のためになることはほとんどありません(人との接し方の面で成長する、とかはあると思いますが)。
そういう状況なので、 SNS などで、ゴリゴリに仕事をして成果をあげている同業の人などを見ると、「あぁ...おれはどんどん置いて行かれてしまう...」という気持ちになっていきます。
あきらめる
ここからは、僕自身の FOMO との向き合い方になのですが、これはもう、ある程度あきらめるしかないかなと思っています。
僕の場合、「20代最後の、キャリアを積み上げるための、(体力や精神的に)わりと無理が効く期間」を犠牲にして、1年間子供を育てるだけの期間を得たという理解なので、これに付随するトレードオフは受け入れるしかないのかなと。
自分の中では、死ぬ前に「あのとき育休を取って子供とじっくり向き合えばよかった」と思う後悔はあっても、その逆はおそらくありえないなと思ったので、この選択に悔いはありません。なので、ある程度、キャリアの成長はあきらめるしかありません。
毎日1つ成長する
ただ、すべてをあきらめるわけではありません。いくら育児・家事に勤しんでいるとはいえ、自由な時間がまったくないわけではありません。
そうして得られた自由時間を、「昨日より1つ成長する」ために使っています。読書、筋トレ、仕事の勉強、趣味のアメフトのルールを調べる、など対象はなんでもOK。とにかく、なにかひとつでも積み重ねられた実感を持つことが大事だと思っています。時間もさほど重要ではなく、例えば強度の高い筋トレだったら1分でも十分です。
これは僕が好きな武井壮さんの考え方をまるごとパクっています。
この発想の良いところは、成長の比較対象が周囲の人間ではなく、昨日の自分であるという点です。捻出された少ない時間で、いかに昨日の自分を上回れるかということだけにフォーカスします。結果、他人の動向や気持ちが左右されにくくなり、メンタルが安定するようになりました。
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この「毎日1つ成長する」というのは、育休に入ってしばらくしてから意識するようになりましたが、これは育休以外でも自分にはフィットしているなと思うので、今後も続けていきたいです。