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「ツイッター」か「エックス」か、まだ決まってない

「ツイッター」が「エックス」になって、1年以上が経つ。当時はネット上でも話題になり、やれ「元の名前がよかった」だの「エックスは呼びづらい」「卑猥だ!」だの、いろんな意見が飛び交っていたことを覚えている。

マスメディア、芸能界は「エックス」に鞍替えするのが早かった。テレビではすぐにどの番組も「エックス」表記になったし、そういう講習でもあったのかと思うくらい、芸能人もみんなこぞって「エックス」と呼び始めておどろいた。「ツイッター」と表記したところでわざわざツッコミを入れる人はいないだろうに、昨今のコンプライアンスの意識の高まりを感じる(本当に?)。

かくいう僕は、まだ「ツイッター」か「エックス」か、どちらで呼ぶかがまだ自分のなかで定まっていない。賢明でめざとい方なら、ここまでの文章内で、まだ当該SNSのことを「ツイッター」か「エックス」かを断定していないことにお気付きだろう。

たまに、ふとした会話の中で「ツイッター」と発してしまうことがあり、そういうときは『あっ、「ツイッター」って言っちゃったな...。新しい呼称である「エックス」と呼ばないことで、古い文化にしがみついている頭の固い人間だと思われないだろうか?』と気になってしまう。

逆に、「エックス」と呼んだら呼んだで、まだ自分の口の動きが「エックス」に慣れておらず、まごついてしまうため『あっ、この人「エックス」と呼ぶのに慣れていないのに、頑張って価値観をアップデートしようとして「エックス」って呼んでる』と思われないかどうか気になってしまう。

だから結局、どっちで呼ぶにしても逡巡してしまって、気持ちよく発することができない。だいたい、0.2秒くらい、どっちで呼ぶかの葛藤があって、そのときの気分で決めている。できることなら、この、無駄にかかってしまっている脳内コストの費用をイーロン・マスクに請求したい。

思うに、「ツイッター」という名前が良すぎたのだ。

「ツ」から始まるカタカナという日本人の口に馴染みがないワードであり、どこかヘンテコでなんとなく愛くるしい感じがする。でも、「ッター」という語感はかっこよく、「グラップラー」とか「スプラッター」みたいなシャープな切れ味も感じる。かわいさとかっこよさの良いとこどり。「ツイート」と「ツイッター」という、動作とサービス名の対応も気持ちがいい。非常にバランスの取れたサービス名だったんだなと思う。

それに比べると、「エックスでポストする」......。うーん、全然言いたくならない。どうやってもしっくりこない。なんか頑張って組み合わせた感じがする。「ツイッターでツイートする」ほどの気持ちよさには遠く及ばない。これに関しては、慣れとかの問題ではないような気がする。

やっぱり、まだまだ「エックス」が自分のなかに浸透するのには時間がかかりそうだ。

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