家訓がある家って、なんかカッコいいなと思う。
実家では、おそらく家訓はなかった。おそらく、というのは親にちゃんと確認したことがなく、確証が持てないからだ。
たしかに、「ティッシュペーパーもタダじゃねぇんだぞ」とは口酸っぱく言われていた気がするが、あれは家訓と呼べるものではないと思う。たぶん、「教育」。あとは、父はよく「能ある鷹は爪を隠す」ということわざを多用していたが、あれは口癖であって、家訓ではない。シンプルに座右の銘。もし仮に、親的に家訓を用意していたとしても、息子が把握していないので、それは家訓としては微妙だなと思う。
なんとなくのイメージで、家訓というだけあって、家族のメンバー全員に骨の髄まで浸透していて、「あなたの家の家訓は?」と聞かれたときに、即座に答えられるような、そういうものが家訓なのだと思う。なんなら、リビングの壁とかに筆文字で書いて貼ってあってもいい。我が家のリビングのいちばん目立つところには『マッドマックス2』の古いポスターがでかでかと貼ってあった。もしかしたら、あれは父なりのメッセージだったのかもしれない。どういうメッセージ?
とにかく、我が家は家訓がなかったのだ。
家訓を意識し始めたのは、昨年、登山家である服部文祥さんの著書『サバイバル家族』を読んでからだと思う。服部さんの家では、2つの家訓があるのだという。1つが、「ご飯を食べるときは姿勢をシンメトリーにすること」。2つめが、「朝起きたら家族と顔を合わせて挨拶をすること」。詳細なことは忘れてしまったが、確固たる理由があってこの家訓を作ったわけではなく、なんとなく決まった的なことが書いてあったような気がする。でもこれを読んだとき、率直に「この家訓、めっちゃ良いな」と思った。
まず何より、判定基準が超明確である。ご飯を食べているときの姿勢がシンメトリーか、アシンメトリーかは、見れば分かる。家訓に従うには、背筋を伸ばして椅子にまっすぐ腰掛ければ良い。朝の挨拶にしたって、挨拶したかどうかは誰にだって分かる。すごく明快な基準だ。あと、この家訓を忠実に守って育った人は、なんというか、まっすぐな人になりそうな気がする。
服部さんの家については著書で読んだりYouTubeで見た程度の知識しかないが、家訓がある家とそうでない家を比べたときに、前者のほうが「トライブ感」が強くなりそうだと思う。それがどんな家訓だろうと、全員で共有している掟、しきたりがあると、無意識のうちに結束は強まりそうだ。そういう意味では、家訓を作りたいとぼんやり考え始めたのも、2人目の子どもが生まれ、家族が4人になったくらいのタイミングだった。家族が増えていくなかで、ある種の決まりを作りたいと思うようになることは自然な流れなのかもしれない。
具体的な家訓については絶賛考え中。思い切って抽象的な方向性に振り切った感じの家訓にしてみてもいいかな〜とも思ったが(例:「エレガントに暮らす」など)、人によって解釈がブレすぎるとすり合わせが大変なので、今のところは基準が明確なわかりやすいものがよいかなと思っている。まあ、そこの判断基準ごと個人に任せてしまって、大枠の方向性だけ家族間で合意が取れている、みたいなスタイルもありっちゃあり。ただ、3歳児とかにはさすがにきついか。
家訓を作ったら、リビングの壁に貼りたい。トイレの日めくりカレンダーにしてもいい。「鬼の十則」みたいに、手帳を作って家族に配っても良いな。